経験者の声

母との筆談メモが宝物

 母の病気が聞いた事のない癌と発覚したのは亡くなる一年前でした。手術や投薬、放射線治療で治るものだと信じていましたが、治療もできない状態になってしまいました。もう治療もできないので、ホスピスに入るか在宅治療にするかを選ばないといけない時、まず母に聞くと「病院は嫌や。家がええ。」と言いました。

 あまり深く考えずに在宅治療にしようと思い、思い浮かんだのは土井先生の事でした。病院の看護師さんも「土井先生は素晴らしい方なので、お願いできるのであれば一番いいです。」とおっしゃっていました。後日、土井先生と面談させて頂き、母が後2ヶ月の命だと、24 時間介護が必要だと、私が考えている以上に厳しいものでした。帰り道、仕事の事いろいろな事が頭を巡り、デパートの中を廻っていたら、母への想いがあふれてき、やっぱり母と一緒にいたい、母が一生懸命父の介護をしたように私もしたい、介護休暇がだめだったら仕事を辞めようと思い、在宅治療に決めました。

 その後、土井先生が訪問看護の方や薬剤師の方などを直ぐに決めて下さり、面談の場を設けて下さったので安心しました。退院後は、母の病状がどうなるのか夜も眠れなく不安ばかりでしたが、土井先生をはじめ、土井医院のスタッフさん、訪問看護師さん、薬剤師さん、全ての方に良くして頂き、大変有難かったです。

 退院してからの2ヶ月間、母は「何処にも行きとない、家がいいと…」外出や散歩に誘っても家を出る事がありませんでした。「家族と一緒にいたい。」その一言でした。母が一番辛く、しんどい思いをしているのに、「朝は牛乳と果物を食べるんやで。」「ちゃんと寝なあかんで。」と私の事や兄や義姉・甥の事を心配していました。今更ながら母の愛情の深さを感じました。ある日、訪問看護師さんから「今、何を考えているのですか?」と聞かれた母は、「無になっています。」 と答えた時が大変辛く、何も出来ない自分が悔しかったです。きっとこれらの事は、一緒にいなければ感じなかった事だと思います。ホスピスに入って いたら、私は毎日仕事をしていたと思うので、一緒にいる時間に限りがあったからです。この2ヶ月間、母はどう思ってくれていたのかは分かりませんが、私なりに母に尽くすことができました。兄も訪問看護師さんに「在宅にして本当に良かったです。」と言っていたそうです。

 意識がなくなった最後の一週間は、不安がないと言えば嘘になりますが、家族皆で母の傍に寄り添い看取る事ができたのも、時間に関係なく先生やスタッフの方・訪問看護師さん・ 薬剤師さんが見守って下さっていたからだと思います。在宅介護は大変だとよく聞きますが、私はそうだとは思いませんでした。かけがえのない家族と最後まで一緒にいられるのは最高の幸せだと思うからです。

 私は母と最後まで一緒にいれて幸せでした。母と筆談したメモは今も大切に残しています。私の宝物です。

長岡京市在住 58歳(当時) 佐々木さん

 

母と家族を支えてくださった土井先生

 一番、辛かった事は、余命の宣告です。病院の先生に「半年です。中には3年ぐらい生きる人もおられる。」と言われた事です。間もなく入院し抗がん剤治療が始まりました。本人は抗がん剤治療が辛く、周りの患者さんやナースに気を遣い家に帰りたいと訴え出しました。母は、人一倍 気を遣う人でした。いくら、しんどくてもカーテンひとつ向こうに人さまがいる場所でポータブルトイレを使って用をたす事はできませんでした。やがて、抗がん剤治療も限界をむかえました。本人にとっても家族にとっても病院のベッドでは安心とやすらぎの場ではなくなりました。治療がないのでは病院に居ても仕方がないと思いました。しかし、癌の進行による痛みと不安は増えていき日々の悩みとなり先の見えない毎日でした。

 そんな折、土井先生とスタッフが在宅に向けて病院の主治医やナースと退院調整に動いて下さいました。階段だった玄関もスロープに変えました。住宅改修をしました。自宅に戻った母は家族のために買い物に行きました。父が車イスを押し、近くのスーパーまで買い物へ行きました。大阪の親戚の家にも遊びに行きました。親戚の叔母たちは「どこが悪いんや、顔色もいいし!」と言っていました。それを聞いた母は大変、喜んでいました。病院に居ては考えられない事です。

 そうは言っても癌の進行は止まらず、一人でお風呂に入れなくなり、グールプホームのサービスを利用し、訪問看護師さんにも家に来て頂きました。やがて来るその時が「年単位」ではなく「月単位」でもなく「週単位」になった時、土井先生がこれから「どんな状態になり・・・・・・。」と言う話をして下さいました。

 「何かあれば夜中でも、いつでも電話して下さい。」と言う言葉があり、母の事を家族と一緒のように見て下さっているのだと思いました。それは癌と言う病気の事だけを見ている医者ではなく同じ人として母の人生、母をとりまく家族を支えて下さったのです。

 自宅では「点滴につながれたり」「心電図音が取っていたり」「酸素ファードを測るために指に機械がついていたり」していません。常に家族の声が聞こえ24時間家族の見守りがありました。こんなに長く母と一緒に過ごし、話をし、今まで抱きしめられてきた私が、今度は私が母を抱きしめ「大丈夫やで」と何度も何度も確認しあいました。小さな子供の頃以来の事です。夜になれば弟が泊まりに来て「川の字」になって寝ていました。そして、ある冬の日、皆が見守る中きれいな顔で母は旅立ちました。母が亡くなった時、弟が「皆で乾杯しよう。」と声を出しました。本当に綺麗でやすらかな母を前にビールで乾杯しました。

向日市在住 55歳(当時) 田中さん

 

 

1ヶ月間の療養生活モデル

肺がんで療養中の75歳の女性のケース

 病気の急激な悪化で寝たきり状態になり在宅療養に、その後、体調が回復、安定したのでリハビリテーションを行い、自力でトイレ等に行けるようになる。

  

よくある質問

在宅療養生活をする場合、家族への負担はありますか?
療養者さんを迎えるための準備や環境を整える必要はありますが、病院に通う負担はなくなります。しかしながら、家に戻られてからは、療養者さんの生活介助などがあります。そうした際には、家族のみなさんと相談し、ケアマネージャーなどと連携しながら、家族への負担の軽減に向けて、ひとつ一つ解決していきます。家で過ごしたい本人の思いに寄り添うやさしさと思いやりがあれば、共に過ごす時間も長くなり、充実したかけがえのない生活が送れます。
もし容態が急変したら?
救急車を呼ぶ前に、必ず当院の医師に連絡をお願いします。療養者さんの容態が急変した際、とっさに「救急車!」と思うことがあるかもしれません。しかし、救急車を呼ぶことで望まぬ処置などを受けることもありますので、あわてずに、当院へご連絡ください。
訪問診療に来てもらえるエリアは?
病状が急に変わった時でも、すぐにかけ付けられる範囲とし、主に向日市・長岡京市・大山崎町・京都市西京区・伏見区(桂川以西) などです。  →詳しくはこちら
病院の主治医さんとの関わり方は?
療養者さんやご家族にとって最良と思える選択肢を一緒に考え、病院主治医、在宅主治医、相互にサポートできるよう努めます。とりあえず家で過ごしてみる、という考え方からはじめてみるのでも大丈夫です。療養者さんやご家族にとっての選択を尊重します。  →「主な連携医療機関」はこちら
痛みのコントロールは大丈夫ですか?
痛みのコントロールはご自宅でも十分に可能です。緩和するためのお薬などを利用することで安心して暮らすことができます。療養者さんに合った分量などを医師が適切に判断いたします。 →詳しくはこちらへ
在宅医療の費用はいくらくらいになりますか?
在宅医療・訪問診療までの流れは?

まずは、ご相談・ご連絡ください。 →詳しくはこちらへ